ばあちゃんのお葬式の日

冠婚葬祭
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2020年11月13日。10時から、父方のばあちゃんのお葬式。

昨日の住職さんがまたお経をよんでくれる。私は宗教のこととかお経のことは詳しく知らない。でも、昨日お通夜で読んでくれてたのとは違うお経だったと思う。「南無阿弥陀仏」と「極楽」がたくさん出てきたのはわかった。ばあちゃんが天国で幸せに暮らすために唱えてくれる言葉なんだと思う。それ以外にも聞き取れる言葉がないかなぁと思って注意して聞いてたんだけど、耳から入ってくる音を頭の中で漢字に変換することすらできなくて途中であきらめた。

そういえば、ばあちゃんは住職さんのことを「お寺さん」て呼んでたけど、呼び方はそっちが正解なんだろうか?未だによくわからない。ぼんやりした頭でばあちゃんの遺影から目線を動かすと、仏壇にはご飯が盛られた金色の小さい器が燭台みたいな細い足で二つ立っていた。ばあちゃんは「仏さんに供えたあとのご飯を自分たちが食べると、同じものを一緒に食べたことになる」というようなことを言ってみんなの晩御飯に振り分けてたけど、子供のころの私は仏壇で浴びた線香のにおいがするからあんまり食べたくなくって、内緒でオカンの茶碗に放り込んだりしていた。でも、今ならばあちゃんの気持ちがわかる気がする。ばあちゃんは、早くに亡くなったじいちゃんと一緒に同じご飯を味わいたかったんだ。たぶん。きっと。一緒に食卓を囲めなくても、そういう気持ちで食事をしたかったんだ。全然わかってなくてごめん。

うちはばあちゃんの家でやる家族葬だったから、お経が終わってからすぐ、その場でばあちゃんの棺にお花を飾った。白と、黄色と、紫の花を、顔の周りに皆でバランスよく置く。もしかしたら、ばあちゃんが上から見てるかもしれないから。ちょっとでも綺麗に見せたかった。お花が好きで、家の中でも植木鉢でたくさん育ててたばあちゃん。叔母ちゃんが子供のころは、最寄り駅の花壇に勝手にお花を植えに行っててびっくりしたって話もさっき聞いた。ちゃんと話したことなかったけど、きっとこだわりもたくさんあったと思うから、あれで良かったか心配だ。「は~センスない」て思ってるかもしれない。小さい頃は怒られるのが怖かったけど、今なら怒られても言い返せる。でも、目の前のばあちゃんは冷たくて、静かに寝たままだった。

棺のフタが閉じられたあと、そのままワゴン車に乗せて火葬場に運ばれた。玄関から棺を出すのに引き戸を全部外したら、家に歪みができてるせいで元に戻すのが大変だった。ワゴンに全員は乗れなかったので、私とオトンとオカンは自分たちの車で移動した。家を出発するとき、向かいのおじいちゃんがばあちゃんのワゴンに手を合わせてくれてるのが見えた。

火葬場の窯の前で、最後にもう一回、叔父ちゃんが棺の窓を開けた。みんなでばあちゃんの顔を覗き込んで、みんなで泣いた。そのあと、職員の人に押されてゆっくり窯に吸い込まれていくばあちゃんに、叔母ちゃんが「頑張ったね、ありがとう」て声をかけた。窯の自動扉が完全に閉まって、叔父ちゃんが窯のカギを受け取った。

火葬が終わるまで待合ロビーで待機するように言われて、みんなそこのイスに座った。他にも二組くらいの家族がいて、みんな静かに座ってた。ずっとスマホをいじってる人もいた。二時間弱の待ち時間だったけど、みんなで昔話をしてたらあっという間に過ぎた。じいちゃんのお墓参りの帰りによく行ってたラーメン屋さんで私が食べすぎて吐いた話とか、叔母ちゃんが若いころ働いてた駅前のお店の話とか、オトンが餃子の王将の写真を投稿したSNSで1万5千いいね貰ったって自慢し始めたりとか、ロビーの中で私たちだけが盛り上がって二時間経った。職員の人が呼びに来て、またみんなで窯の前に戻る。

窯から熱を帯びた台に乗ったまま出てきたばあちゃんは、当たり前だけどすっかり骨になっていた。窯を開ける前、叔母ちゃんが「83歳だからなぁ……最近はずっと寝てたし、骨もスカスカかもしれないよね」て言ってたけど、出てきてみたら見るからにとてもしっかりした骨だった。じいちゃんのお母さん(ばあちゃんから見ると義理の母)が骨折を機に弱っていったのを見ていたからか、骨には随分気を使っていたらしい。歯も、ちゃんと残ってた。おかげで箸でお骨を拾うときも崩れることなく、箸渡しもすんなりできた。足の方から順番に拾って骨壺に入れる。みんな慣れない手つきでゆっくり摘まんで優しく入れた。「その辺で見てて『な~にやってんだか』て言ってんだろうなぁ」て叔母ちゃんが言って、その『な~にやってんだか』が頭の中で、私の知ってるばあちゃんの声で再生された。最近のばあちゃんの声も聞いておきたかったな。

大きな骨は、骨壺に入れてからすりこぎみたいな木の棒で崩す。木の棒で優しく骨を押し潰す叔父ちゃんを見てたら、昨日の夜、たくさん出てきた写真を見ながら叔母ちゃんに聞いた「はんごろしだ~はんごろし~!」て言いながらおはぎを作るばあちゃんの話を思い出してちょっとおかしくなった。足の次は腰、その次は肋骨……というように順番に収めていったら、いっぱいになって入らなくなった。職員の人が、骨を崩してる叔父ちゃんに「もう少し細かくしましょう」て言ったけど、叔父ちゃんはそれが辛かったみたいで「もうできません」て断って、結局職員の人が代わりに潰した。そのあと頭まで全部収めて、パンパンになった骨壺にフタがされた。

ばあちゃんが入った骨壺を持って、みんなで家に帰る。帰りは全員うちの車に乗って、またみんなでお喋りをした。うちに帰ったら、今の家の中の写真も撮っとこうとか、ばあちゃんの部屋にカラオケ大会の賞状があったけど何歌ったんだろうとか、ばあちゃんに聞いても教えてくれなかった好きな歌をデイサービスの人がこっそり叔父ちゃんに教えたのを知ったとき「余計なこと言って……」て恥ずかしがってた話とか、いろいろ。骨になってしまったばあちゃんが今どこにいるのか私にはわからないけど、もし骨と一緒に骨壺の中にいたんだったらきっと、この時の話も「余計な話ばっかして!」て思いながら聞いてたんだろうな、ばあちゃん。もしかしたらもう、早々に天国のじいちゃんの所に行っちゃってたかもしれないけど。

家について、お骨を仏壇の前に置いて、宣言通り家の中の写真を撮った。この家はばあちゃんの持ち物なんだけど、いろいろガタが来てるしこれからどうするのかまだ決まってない。もしかしたら壊されちゃうかもしれない。10年、20年経った時、昨日の夜みたいに「懐かしいね~」て言いながら眺められるように、いろんな角度からたくさん撮った。

そのあと、また住職さんがきてお経をよんだ。本当は、今日から四十九日までのあいだ一週間ごとに法要を行うことになっているみたいなんだけど、叔父ちゃんの心臓の手術がすぐ先に控えていてこれから一か月は退院できなさそうなので繰り上げ法要というのにしたらしい。最近は家族全員働いていてなかなか予定を合わせられない家庭がほとんどだから、こういうやり方が増えてるって住職さんも言ってた。とりあえず、次にみんなで集まるのは四十九日の12月29日だそうだ。基本的にはそれと同時にお骨をお墓に入れるんだけど、雪が積もってお墓を開けられなさそうなので納骨は春を待ってからにするらしい。いろんなやり方があるんだなぁ。

大切さは亡くなってから気付くことが多い。その言葉は理解していたつもりだったけど、亡くなってからでは遅いんだから今自分が何をしなきゃいけないのかって言うのを全然考えられてなかった。ばあちゃんにはもう会えないけど、今までに自分が感じたばあちゃんの記憶と、みんなが教えてくれた自分が知らなかったばあちゃんの存在を、ずっと忘れずにいたい。何十年後になるかわからないけど、私がばあちゃんの所に会いに行ったとき、私のことを覚えててくれてると良いな。

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