ばあちゃんのこと

冠婚葬祭
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2020年11月11日、父方のばあちゃんが亡くなった。

8年前に脳梗塞で倒れてから左半身が麻痺して、それからずっと叔父ちゃんと一緒に暮らしてたんだけど、今年3月に頬粘膜がんの宣告を受けてお医者さんから「もう1年保たない」って言われたことを、私は夏の終わりごろに聞いていた。

ばあちゃんが脳梗塞で入院したとき、母に連れられて一回だけお見舞いに行ったことがある。すごく久しぶりに会うばあちゃんは病室のテレビで大好きな野球の試合をじっと見ていて、何を話せばいいのかわからなかった。私は野球のことはよくわからなかったけど、ばあちゃんがぽつぽつとする選手の説明をちょっとだけ聞いて帰った。意識はしっかりしてるし、口数が少ないのはいつものことだし、結構元気じゃん、と思いながら。

でも、入院先の病院もばあちゃんの家も私の家もみんな同じ北海道だったのに、それ以来一回も会わないままばあちゃんは帰らぬ人になってしまった。

10日の昼間、「おばあちゃんの病院からお父さんに呼び出しがかかりました」と母からLINEが来て、「呼ばれるってことはもう危ないってことかな」って返信したんだけど、その時は全然実感がわかなくて、ちょっと寂しい気持ちにはなったけど悲しさとは違う気がした。

昨日の朝、また母からのLINEで「今朝亡くなりました」て連絡が来たときも同じ。大人になってからお葬式に出るのが初めてだったから、まず何を準備すれば良いんだろう?て考えるのが先だったと思う。

でも今日、ばあちゃんの家に行って棺の中で静かに寝ているばあちゃんの顔を見たら、途端に悲しくなった。ばあちゃんは、癌で歪んでしまった口元を隠すようにマスクをしていた。最後だし、マスクを取ってばあちゃんの顔をちゃんと見ておこうと思って手を伸ばしかけたけど、下を向いたら涙が止まらなくなってしまった。マスクの上に水がぼたぼた落ちてきたらばあちゃんが嫌がるだろうなと思って、手は引っこめた。歪んだ口元も、きっと見られたくなかったよね。横にいた叔父ちゃんに「泣くのは明日の火葬の時までとっとけ」って言われたけど、叔父ちゃんも溜まった涙が落ちないように一生懸命目を見開いてた。

ばあちゃんとは、子供の頃同じ家に住んでた時期がある。私は東京で産まれたけど、5歳のときに父の実家がある北海道に引っ越して、そこから父が自分たちの家を買うまでの5年くらいはばあちゃんの家に一緒に住んでた。私がうるさくて鬱陶しかったからなのか元々の性格なのか、私の記憶の中のばあちゃんはあんまり喋らない人だった。好きな野球を見ながらヤジを飛ばしたり、私が鳩時計の鎖を引っ張るのを怒ったりするけど、喋っても短い会話で終わってしまう。東京から父さんの転勤にくっついてきた母は、慣れないばあちゃんとの接し方に困っているように見えた。そんな状況だったから、私もだんだん積極的に話しかけなくなっていったように思う。

きっと頭に残ったそういう記憶が、年を追うごとにばあちゃんとの距離を離していってしまったんだ。

今日、16時頃にばあちゃんちに着いて懐かしいなぁって思いながら家の中を一周した。二階の、昔は父と母が使っていた部屋が今はばあちゃんの部屋になっていて、カラオケ大会の賞状とか、デイサービスでボードゲームをしてる写真とか、職員の人と写った写真とかが貼ってあった。私の記憶の中のばあちゃんとは違ってすごく自然な笑顔だった。

17時からお通夜が始まって、お寺の住職さんがお経をよんだ。

ばあちゃんの旦那さん(私のじいちゃん)は、私が1歳になる前に50代で亡くなった。今日来てくれた住職さんは、私がばあちゃん家に住んでいたときからそのじいちゃんのお経をあげてくれていた人と同じ人だった。最後に会ったのはもうかれこれ20年近く前のはずだけど、案外覚えてるもんだ。お経をあげてくれた声も、あぁこの声だったなぁって思い出して自分でもびっくりした。

お経がよまれているあいだ、ずっとばあちゃんの遺影を見てた。すごくいい笑顔の写真だった。あとで聞いたら、5年くらい前に畑でじゃがいもが採れた時の顔だったらしい。私の記憶の中にあるばあちゃんの笑顔は、だいたいが苦笑いだったり控えめな笑顔だったから、生きている間にあの満面の笑顔を見られたら良かったのになって思った。

お経が終わったあと、住職さんがちょっと話をしてくれた。

人はどんどん物を失っていく。それは体力だったり能力だったり配偶者だったりするけど、失ったものは大体の場合戻ってこない。持てる力は持てるうちに、大切なものはあるうちに、ちゃんと大事にしなきゃいけないんだよね。

いつだったかの新聞に載っていた、「80歳を過ぎて【謝】の字が日記に増えてきた」ていう内容の川柳の話もしてた。「謝」は感謝の意であり謝罪の意でもある。きっとばあちゃんも、感謝の気持ちと謝罪の気持ち両方をたくさん抱えて最後を迎えたんじゃないかって言ってた。

今さら遅いけど、もっとちゃんと会っておけばよかった。何を話せばいいのかわからないとか言ってないで、何でもない話をたくさんすればよかった。そしたら、子供の頃にはわからなかったばあちゃんの良いところをもっといっぱい知れたかもしれない。でも、今さらそんなことを言ってもばあちゃんにはもう会えないんだ。そう思ったらまた涙が止まらなくなった。

住職さんが帰ったあと、みんなでお寿司を食べながら話をして、タンスから出てきた昔の写真を見た。じいちゃんの写真は仏壇に飾ってある遺影でしか見たことなかったけど、ばあちゃんとの新婚旅行の写真とかじいちゃんが働いてた自衛隊の写真とかがたくさん出てきて、いろんな顔を見ることができた。じいちゃんとばあちゃんはお見合い結婚で、「じいちゃんはタバコも酒もやらないって聞いてたのに、結婚した途端に飲むは吸うわで騙された!」て言ってた話とか、じいちゃんが亡くなったときに行きつけの飲み屋から7万円(当時の初任給が6万くらい)のツケ請求が来た話も聞いた。

父は長男で弟と妹の3人兄弟なんだけど、その3人と若い頃のばあちゃんがニッコニコで写ってる写真もたくさんあった。白黒だったり年季が入った写真たちの中に、3歳くらいの私とばあちゃんが一緒に遊園地の乗り物に乗ってる写真もあって、その写真も同じようにニコニコ笑ってた。私が覚えていなかっただけで、ばあちゃんはちゃんと笑ってくれてたんだって思ったら嬉しさと申し訳なさでまた泣けた。

もう2時になるけど、全然眠くない。さっき外に出たらすごく晴れていて、街灯も少ない田舎だから星がすごく綺麗に見えた。明日は10時からお葬式だ。

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