流産して仕事を辞めた話①

妊娠・出産
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以前Twitterやブログでお知らせした通り、2021年10月8日現在 私は妊娠27週(7ヶ月最後の週)で、もうすぐ妊娠後期に突入しようとしている。赤子の成長も順調でとてつもなくハッピーな毎日を過ごしているのだが、ここに来るまでの2~3年で悲しいことや悔しいことがいくつかあった。普段そういうことはできるだけ忘れるようにするタイプだけど、今回のは忘れたくない事なので書いておくことにする。

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1回目の妊娠発覚

実は今回の妊娠は初めてじゃなくて、3回目だ。1回目の妊娠は2018年の12月31日に発覚した。もともと生理が規則的に来るタイプだったので、生理が遅れていることに気付いた2018年の年末、年越しそばを買いに行くついでに近くのドラッグストアに寄って妊娠検査薬を買った。別に恥ずかしいものを買うわけじゃないのに、ちょっと緊張した記憶がある。自己検査の結果は陽性で、夫もすごく喜んでくれて、浮かれて検査薬の写真を撮ったりした。本当はすぐにでも産婦人科を受診して詳細を確認したかったけど、年末年始は病院が開いていなかったので 年明けも何食わぬ顔で仕事に行き、三が日を過ぎた4日に受診→妊娠確定となった。病院は 特にどこが良いのかわからなかったので、とりあえず交通の便が良くて通いやすそうなところを選んだ。

初診

初診では「だいたい妊娠5週目」「子宮外妊娠の恐れなし」「胎嚢(赤ちゃんが育つための袋) 1.56cm」「まだ小さすぎて赤ちゃんは確認できないので、二週間後にまた来るように」と言われ、エコー写真を貰った。

病院から出てすぐ、Twitterのマタニティアカウントを作った。同じくらいの週数の人や先輩妊婦さんをフォローして、みんなと気持ちを分かち合ったり情報収集をしたりするためだ。それと、妊婦は身体を冷やしてはいけないと聞いていたので、帰り道とりあえずユニクロに寄ってルームシューズとヒートテックの上下を買って、次の日から問答無用で毎日着た。真冬だったけど バスの中や職場にいる間は結構暑かったのを覚えている。

その時の職場はみんなとても仲が良くて、それでいて変に干渉しない人達ばかりが揃っていたので、今後つわりで休んだりすることを踏まえて 妊娠確定後すぐに報告した。初めての妊娠で浮かれてたのもあったと思う。みんなすごく喜んでくれて、その日に葉酸(妊婦にとって重要と言われている栄養)のサプリを買ってきてプレゼントしてくれた人もいた。数日後、インフルの疑いがあるのにマスクなしで出勤してきた同僚がいて、「私が妊婦なの知ってるのに配慮足りなすぎん!?」と憤った事件(実際その人はインフルだった)もあったけど 結局私は罹患せず事なきを得たし、基本は接客の立ち仕事だったけど 周りのみんなが気を遣って座るように促してくれたりして、職場では快適に過ごさせてもらってた。本部からの数字取れ圧力はいつも通りだったけど。

二回目の産婦人科受診までの間、「コウノドリ」のドラマを見たり、マタニティマークをいつから付けるか悩んだり、急に納豆が食べたくなって「赤ちゃんが欲してるのかな~」などと考えたり、ありがちなことはだいたいやった。特にコウノドリはのめり込んで見て毎回号泣。このドラマで「妊婦にとって一番良くないのは、他人の意見や情報に振り回されて自信を無くすこと」って台詞を聞いたのと、オカンに 色々不安だな~て言ったとき「私はあんたの時、無事に産まれてくることを疑ったことはないよ」って言われたことで、赤ちゃんのためにも自分がしっかり芯を持たなくちゃいけないんだって強く思うようになった。

2回目と3回目の受診

2019年1月16日、夫と一緒に二回目の産婦人科受診。前回小さすぎて見えなかった赤ちゃん(胎芽)を確認。「胎嚢 29.5mm」「胎芽 4.2mm」で、胎嚢は7週2日相当、胎芽は6週相当。心拍はまだ確認できず。初診後 ネットで色々調べたところによると、早い人は5~6週でも心拍確認できるということだったので期待してたけどまだだった。胎嚢と胎芽の成長に差があるのも、「5週目以降は胎嚢の成長に個人差が出る」との事だったので、自分は胎嚢が大きくなるタイプなのかもしれないと思うようにした。次は一週間後に来るように言われた。

2019年1月21日、夫と一緒に三回目の受診。先生は初診からずっと診てくれてる女医さんで 丁寧にエコー画面を見せて説明してくれたが、大きさは前回とあまり変わっていなくて もしかすると育っていないかもしれないと言われた。とても不安な気持ちが押し寄せてきて呆然とした状態で話を聞いていたら、「もう一週様子を見てみましょう」と言うことになり、「そうか、まだ希望はあるんだ」と思いながら帰った。

これは後々「コウノドリ2」を見ていて気付いたことだけど、あの時の「一週間様子見」は女医さんの優しさだったんだと思う。きっと医者の目から見れば あの時点で成長が止まっていることは明白で、でも私にそれを受け入れる余裕がなさそうだったから 心の準備のためにあの一週間をくれたんじゃないかな。今思えば、その一週間は仕事に行っても何も手につかなかったり 検索魔になったり 不安で不安で仕方なくて一人でトイレで泣いたりして地獄のような日々だったけど、その中で「稽留流産」と言う言葉を知って 自分がそれに当てはまることに気付いて なぜそれが起こるのかを調べて、次の受診でそれを言い渡されるんじゃないかなって思えるところまでいった。もちろん完全に希望を捨てたわけじゃなかったけど、最悪の状況に対しての心の準備が少しはできた。一週間という時間があったことで、自分のペースで情報を飲み込んでいけたのが良かった気がする。もし、この三回目の受診の日に急に「流産です、手術はいつにしますか」て言われてたら、大袈裟に聞こえるかもしれないけど 心が壊れてたかもしれない。私の性格をよく知ってる友達は意外に思うかもしれないけど、基本的に嫌なことは寝たら忘れる、くよくよしない性格のこの私でもだ。自分の中で生きるはずだった命が失われた。相当な打撃だよ。そんなこんなで、次の受診は一週間後。

この辺から、毎日見てたTwitterのマタニティアカウントを見なくなった。順調に育っている報告を見ると恨めしく思ってしまいそうだったし、小さいと言われていたけど次に行ったら問題なかった話みたいな希望にあふれたツイートを見ると 逆に期待しすぎてしまうような気がしたからだ。

4回目の受診・稽留流産の宣告

2019年1月29日、四回目の受診。この日は夫の休みが取れなかったので一人で行った。前回からの一週間で心の準備をして、でも希望が捨てきれなくて、すごく複雑な気持ちだった。いつもと同じようにエコーで見てみたけど、結局 先週確認できていた胎芽はいなくなっていて、胎嚢の中身は空っぽだった。生きられなかった命は身体に吸収されてしまったんだろうか。はっきりと、稽留流産の宣告を受けた。心の準備はしてたつもりだったけど、全然納得できなかった。どうしても涙が止まらなくて、うまく返事もできなかった。

この日は いつもの女医さんがいなくて医院長(?)の男性が担当だったんだけど、「流産の手術をするかしないか 本人に決めてもらわないと……どうします?手術して中身キレイにした方が良いとは思いますけどね」と言われて、「泣いてないで早く決めろ」って言われてる気がして 怖くなって手術の予約を入れることにした。声が上手く出なかったので、頷いて返事した。手術の予定日は2月4日。いつもの女医さんが良かったなって思いつつ、泣きながら家に帰った。

手術を待たずに自然排出

その日の夜、急にお腹が痛くなった。しばらく我慢してみたが、途中から出血も始まった。病院に連絡したところ 今すぐ来てくださいと言われたので、パンツタイプのナプキンをはいて夫と二人でタクシーに乗る。いつも行ってた病院は札幌にある大きなマタニティクリニックの分館みたいなところで、診察は出来るけどお産はできない小さなところだったので 今回は本館の方に来るように言われた。もう終電も終わってる時間だった。

病院に着いて診察してもらったら、自然排出が始まっていることが分かった。稽留流産の場合、手術をしなくても七割くらいの確率で重い生理のような現象が起きて 胎嚢を含めた子宮の中身が全部出てくるらしい。お腹が痛いのは、中身を押し出すために子宮が収縮しているからだそうだ。「この調子だと今夜から明日の朝にかけて全部排出されると思います。明日の朝診察してみて、もし残留物があったらそれを取り出す手術をしましょう。今日は夜通しお腹が痛むと思いますがこのまま入院しますか?入院しても麻酔とかを使うわけじゃありませんが」と言われたので「病院にいても家にいてもどっちにしても痛いなら今日は帰ります」と返したら、「え?かなり痛いですよ?大丈夫ですか?」と聞かれて「どっちにしても痛いんだよね……?」と思いつつ、断れる雰囲気じゃなかったのでそのまま入院することにした。夫は次の日も朝から仕事なのにわざわざ一旦帰って荷物を持ってまた来てくれたけど、病室にずっと一緒にいるわけにもいかないので帰らされてしまった。一人になって、悲しいのと心細いのでまた泣いた。確かにお腹は痛かったけど 我慢できる痛みだったし、他の妊婦さんと同じ病室に入れられなかったからだと思うけど 一人部屋に通されて一泊の入院で二万円もかかったので、こんなところで一人寂しく寝てるより 家で夫の隣に寝てた方が良かったなって思った。

今思えば、二回目の受診の時(もしくはそのすぐ後)には胎芽の成長は止まってたんだろうな。私は死んじゃった赤ちゃんをずっとお腹に入れてたんだ。医学的には 胎芽の事はまだ赤ちゃんと呼べないらしいけど、私にとってはとっても大事な命だったからとっても悲しかった。今までの人生で一番悲しかった。結果が出てしまった以上 何を言っても変わらないのはわかってたけど、何がいけなかったのかを病院のベッドでずっと考えてた。妊娠に気付く前、飲み会に行ってお酒を飲んだから?タバコ吸わないのに同僚とおしゃべりするために喫煙室に入ったから?イライラしたり 熱出したりしたから?ミルクティーとかコーラとか、カフェインの入ってるものたくさん飲んだから?無理なのはわかってたけど、妊娠に気付く前まで戻って全部やり直したかった。

いろいろ考えてたらいつの間にか眠ってて、途中腹痛で目覚めることもなく 気付いたら朝だった。ぼーっとしてて言われるがままに行動してたから細かいことは忘れちゃったけど、診察待ちのあいだ 周りに幸せそうな妊婦さんとか赤ちゃん抱いたお母さんとかがたくさんいて すごく虚しい気持ちだった。

結局、手術は必要なかった。全部キレイさっぱり出きってた。診察担当のお医者さんは事務的で冷たかったけど、帰りに看護師(?)のお姉さんに「きっとママが手術で怖い思いしないようにキレイに出てくれたんだね~」て言われて、何かよくわからんまま泣いた。

その後、気持ち的に すぐ出社できる状態じゃなかったから有休申請のために上司に連絡しなきゃいけなかったんだけど、その報告をするのも辛かったな。早期出社を促すような マタハラみたいなことは一切なかったし、「ゆっくり休んで」て言ってもらえてすごく助かったけど、状況を説明しなきゃいけないこと自体がしんどかった。

心身の回復と仕事復帰

自然排出の日から5日休んで、2月5日には仕事に復帰した。職場の人たちは相変わらず優しくて、最初こそ「大丈夫?」て声をかけてくれたけど そのあとはこの件について何も言わなくなった。私も特に話したくなかったし、流産の話題が出たら途端に泣いてしまう自信があったので 何もなかったように普段通り接してくれてすごく助かった。あのタイミングであの店舗に配属されてたのはとても運が良かったと思う。

稽留流産を含む早期流産の原因は、大体の場合 受精卵の異常にあるとされている。染色体異常のある卵子が受精することによって、「育つことのできない受精卵」が発生してしまうのだそうだ。たとえ正常な精子と卵子が受精したとしても その後の過程で問題が起きてしまう可能性もあるし、一概には言えないけど。でも その辺りは偶然に起きてしまうことが圧倒的に多くて、誰にだって起こる可能性がある……て言われたって 実際自分がそうなるなんて思わないじゃん。普段の生活や運動、仕事などが影響して胎児が育たないわけではないから、母体が気に病むことはありません……て言われたって 病まないわけないじゃん。医学的にはそれが正しい情報なんだし、それを理解して心を落ち着けるべきなんだけど、やっぱりなかなかすぐに ハイそうですか とはならなかったな。頭ではわかってても 気持ちが追い付かないと言うか。最終的には時間が解決してくれた感じだった。仕事復帰したあと すぐに仕事関連の資格試験があって、嫌でも受けなきゃいけなかったから その勉強をして気を散らしてるうちに少しずつ気持ちが落ち着いていったような気がする。

一か月後くらいには、このままくよくよしてても何も変わらないし 次回の妊娠でまたお腹に戻ってきてもらおうって思うようになった。厳密に言えば卵が違うんだから確実に別の命なんだけど。でもそう思うことで 次の妊娠に向けての活力が湧いたから、私にとっては良いやり方だったんだと思う。途中から見なくなってたTwitterのアカウントは、次また妊娠したときのために そのままにしておくことにした。それでこの一年後 私はまた妊娠するんだけど、長くなったので その話はまた今度。

今後 身近に妊婦さんが登場するかもしれない皆へ

この時の私には 妊娠を一緒に喜んでくれる家族や友達や同僚がいて、そのおかげで最後まで希望を持って妊娠生活を送ることができたし、流産が確定した後は皆の気遣いによって深く干渉されなかったことで 一人で冷静に考えを整理することができ、悲しみを早めに断ち切れたと思っています。

今後、もし嬉しそうに妊娠を報告してくる友人がいたら全力で喜んであげてほしい。もし知られたくなさそうにしていたら、変に干渉しないであげてほしい。もし悲しいことが起きた場合は、何も言わずにそばで支えてあげてほしい。人によって考え方や感じ方は様々なので 全ての人に当てはまるわけじゃないかもしれないけど、体験者の一人として 私はそう思います。

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